な病んでる?

最近気がつくと悩んでる・・病んでるのか・・?

仕事とマニュアルと葛藤

僕は外資系飲食店の調理を担当している。

調理の仕方は事細かにマニュアル化されている。

マニュアルに沿って作業すれば意図した完成品が出来上がると言うことになっている。

常にマニュアル通りに作業すれば良い。

 

しかし僕はその通りにしていなかった。

 

忙しい時間帯は当然急かされる。

そういう時は出来上がりに影響が少なそうなものを自己判断で端折った。

 

 

またマニュアル通りに作れば同じものが出来上がる。

かと言うと、原材料の時点でのばらつきもあったりして

そういうわけでもない。

なので独自の判断で作り方を変えたりする。

 

またマニュアルで腑に落ちない点がある場合も自己判断で作り方を変えた。

 

マニュアル「このように作成すれば、このように出来上がります」

 

しかしそうならない。そういうときは出来上がりを重視し作成方法を変えた。

 

 

マニュアルから逸脱しつつもより良い完成品を作ろうとした。

あくまでも自分自身の感覚ではあるが。

 

 

見た目の良い物が速く出来上がることに現場の人達は喜んでいてくれてたように思う。

 

僕自身も工夫して効率を上げたりすることは好きなので嬉しかった。

 

 

 

ある時会社の偉い人がやってきた。

 

「マニュアルと違うんじゃないか?」

 

最もな言葉だ。

 

僕はこの「偉い人の言葉」に弱い。

偉い人の言葉は絶対だ。

言ってることは正論である。

 

たしかにフランチャイズはどこでも同じ品質のものを提供しなくてはならない。

僕はマニュアルにそった作業をするために労働者として雇われている。

心身を傷つけられる事でなければ雇用主に従わなければならない。

 

マニュアル通りより、それを改変して作成したものを良いと思っていたのは

僕の驕りなのだろうか。

 

色々なことが頭の中に湧き上がる。

 

なにか自分自身を否定されているようにも感じて落ち込んでしまう。

 

今はマニュアル通りに作成している。

僕個人の感覚で完成度は下がり、作業時間も増えた。

現場の人たちはあまり良くは思っていないだろう。

 

でも僕は偉い人に正論を言われたからには従わなくてはならないという気持ちが

強い。

だが正直自分自身では納得していない。しかしこれは己の傲慢なのだろうか。

 

 

・・というような事を長々と考えてしまう僕は、やっぱりちょっとおかしいのだろうか。

信頼できないコンピューター

僕はデジタルを信頼できない。

今や何でもかんでもスマホで出来るのが当たり前で、実際とても便利だ。

 

だが僕は

デジタルデータは突然すべて消え去りそれまでのモノがすべて無になる

という脅迫観念を持っている。

 

僕がデジタルの保存を最初に体験したのはゲームだ。ファミコンカセットのやつ。

これがとにかくすぐ消えた。

 

遊んでいる時ゲーム機に脚がぶつかり衝撃が加わったら消えた。

カセットを刺す時、端子の接続がうまくいってなくて電源を入れたら消えた。

なんかよく分からんけど消えた。

 

その時の感覚が今でも記憶にこびりついている。

 

デジタルで記録するときはアナログでも記録している。

はっきり言って二度手間だ。効率悪くなってるではないか。

 

もちろんバックアップを取れば良いのだろうが、そのバックアップも消えるかも知れないのでさらにそのバックアップを・・

はっきり言ってアホだ。

 

そんな自分と決別したい。今年はデジタルを信じよう。

デジタルをうまく使えばものすごく便利で効率もあがるはずなのだ。

刑法と民法

刑法と民法はまっっったく別のものなのだ。

法律を守ると言ってもその意味が全く異なる。

刑法は国のシステムのためのもの。

民法は人と人のトラブルだ。

 

人に迷惑をかけてはいけないと教えられて育てられたが、何かをしようとした時は他人と衝突することもある。

その人からすれば迷惑だ。

だがそんなことを言っていては何もできない。

 

よく考えればそもそも自分に対しても迷惑ってことではないか。

そうなると白黒をつける手段は裁判になる。

 

裁判の結果が本当に正しいかどうかは分からないがその結果が

世の中からすれば決着された結果であるのだ。

 

しかしどっちが正しいのかは結果が出るまでわからない。

 

何がいいたいかと言うと刑法違反でない限り

やりたいことがあるなら人との衝突を恐れずにやるしかないってことだ。

クーポン券

いつの頃からだろうか。

身の回りがやたらとクーポンだらけになっている。

スマホが普及してからだろうか?

 

「クーポンを使わなければもったいない」

 

そんな気持ちになって逐一チェックしていた。

タイムセールなんかもそうだ。

安いとき買わなくては損だという気持ちになる。

細かいチェックを怠らない。

 

しかしまて

 

そんなことしている時間のほうがもったいなくないか?

ダメなもったいない精神じゃないのか?

 

そもそもクーポン券ってなんだ?

その値段で売れるならば定価を下げればいいのではないのか?

 

以前は期間限定でクーポン券が配られていたように思うが、最近は常時発行されていないか?

定価を下げるということは物の価値を下げる事になるのであくまでも特別にクーポンで安くしてますよって事か?

 

いつでもある特別。

なんか変。

 

そんな事を考えてしまう僕はなんなんだ?

無理をすると結局その分身体に帰ってくる。

頭痛がして耳の奥がおかしい。

病院へ行った。

中耳炎になりかけてた。

 

僕は外資系飲食店のアルバイトをしている。

 

クリスマスから年末年始忙しくて無理をした。

結果これだ。

 

去年の今頃も同じように無理をしてこの時期インフルエンザにかかってしまった。

因果関係は証明できないが。

 

だが身体に疲労が蓄積されていくのは明らかに感じていた。

 

人がいないと言われると断れきれない。

 

多く働いた分の労働賃金は医療費へ流れ、僕は頭痛に悩まされている。

時間も無駄にした。

 

全く僕は何をやっているんだ。

 

断れない僕が悪いのか。

 

身体の弱い僕が悪いのか。

捨てられない。

物を捨てられない人は結構いるらしい。

僕もそうだ。

 

とにかくもったいない。いつか使えるんじゃないか?

常にそう考えてしまう。

アマゾンのダンボールですら捨てられない。

 

「収納に便利そうじゃないか」

 

でも結果ダンボールがあふれかえっている。

アマゾンのダンボールを収納するためにアマゾンのダンボールを使う・・

 

一体何をやっているんだ・・

 

頭では・・頭ではわかっているんだ・・

でも、ものすごいもったいない精神が・・

 

どうしてこういう性格になってしまったんだろう・・

 

 

昔、小学校の先生が言った言葉が今もずっと心に残っている。

 

「私達が子供の頃は靴下が破れても縫ってまた履いていた、今の子は豊かな時代に生まれているのですぐ捨てるだろう?」

 

何十年も前なので曖昧だが、たしかそのようなことだ。

お前たちはすごく悪いことをしているんだと言っているように受け取った。

こんなことをずっと覚えているなんて僕はおかしいのだろうか。

 

それが原因かどうか知らないがとにかく僕は物を捨てられない。

 

その結果今の現状だ。

 

 

明らかにおかしいことは分かっている。頭では分かっている。

だから捨てる。今年は捨てる。

 

まずは靴下からだ。

 

靴下は左右同時に使えなくなることが少ないので負の遺産がどんどん溜まっていくのだ。

 

さすがに破れている靴下は捨てていた。

縫っていたとしてもそれを人前に晒すのはいい大人として

ちょっとずれているのは僕にもわかる。常識的に考えて。

 

問題は残った方だ。

 

「まだ履ける」

「片足だけだけど」

「もしかしたら同じ靴下をまた買って、片方破れたときこいつの出番があるかも知れない」

 

いや、そんな事を考えていたら捨てられない。

可愛そうだが相棒をなくした片割れはどんどん捨てる。

 

だが迷いが生じる。

 

「この残った一本あきらかに新しい・・」

 

普通破れるときは、それなりに使い込んでいて残った方も相当ヨタッている。

 

しかしそれはほぼ新品状態だ。一体どうしてだろう・・

 

紛失したのだろうか?

洗濯して干してるときにどっか行ってしまったのだろうか?

どこかの隙間にあるのかもしれない。

 

「これは・・捨てられないな・・」

 

まあ多少は整理できたので今日はこれでよしとするか・・

 

(最近は方あまりが出ないように同じものを大量買いしている)